最近神保町に出没している。
ハッピ型の看板が笑えるぞ。
店内でなにげなく手に取った土門拳の写真集。
衝撃的だった。
文楽人形が、仏像が、当時の文化人のポートレートがなにかを訴えかけてくる。
失笑してしまうが、この時点で土門拳にも浄瑠璃にも仏像にも特に興味はなかった。
だが、その表情に見入ってしまう。
いつか本物を見てみたいと思わせる。
さて自分は土門拳の写真に感動したのか、仏像や人形自体に感動したのか。
被写体があるそこには、寺や劇場といった「場」があり
気温や環境音や匂いなどの雰囲気があり、
それを全身で感じようとしている自分がいる。
一方、写真ではその場にいなかった読者へいきなり感動を伝えなくてはいけないのだから、
一番言いたいことを最も効果的に表現しなくてはいけないだろう。
その重要な部分を抽出する感性と表現する技術を持っているのが写真家ということ、かな。
だから本物の持っている厳かさに驚き、それを独自の感性で見せてくれた土門拳にまた驚いた、というわけなんだろう。
すごすぎるぞ、本物も写真家も(笑)。
実際シャッター押せば撮れちゃうんだろう、と思われがちなカメラではあるが
いざ感動を伝えようとか思想を伝えようとなると簡単にはいかないわけで...
[PENTAX K-m & FA43/1.9 Limited Black]
音楽も似たようなものか。
大変なものに手を出してしまいましたね、Photo Friend & Jazz Friend の皆さん !(笑)。