熊田千佳慕展というのが新聞の記事で紹介されていた。
載っていたサンプル画にすこしピンときて、時間があったら行ってみても良いかなと思っていた。
なんだか自分の撮りたい写真に共通するものを感じたような気がしたのだが、
写真ではなく精密画だった。
名前を見ても覚えが無くて、女性か? とか思ったくらいだったが
実はおじいさんで、展示会は「99歳の細密画家」と題されていた。
すごいよな、この歳で現役だ。
で、会場の松屋銀座について早々ショッキングなニュースが...。
会期が8/12 - 24 なのだが、いきなり8/13 に亡くなってしまっているではないか....
本人も展示会に向けて作品選定をしていたというから直前まで本当に現役だったわけだ。
うーむ。感情移入するための条件は揃ってしまった....。
作品は植物、昆虫、動物に分類されていた。
訪れた人はだいたい、「精密な絵だ」と言って驚いている。
いろいろな作品があるが、たしかに見所はやはりマクロな視点での精密さで、
自分も似たような視点で撮っている部分があるためとても興味深かった。
花や虫を撮ってます、と言葉でいうとなんだかありきたりで
自分でもつまらないことをしているような気になってくるのだが、
これが実際やってみるととてつもなくおもしろい発見の連続なのである(笑)!
例えば友達の髪型が変わったとか、最近落ち込んでいそうだ、とか人については気づくことが多いのに
花については、あ、咲いた、とか枯れた、くらいとしか感じていない。
でもマクロで観察すると、人と面と向かっているような感覚で見つめることができる。
バッタとか、アブとか、チューリップなどの存在があることはだれでも知っているし、
花の形も匂いも、虫の鳴き声も漠然と知っている。
だがあらためて花の深い色合いに驚かされたり、
ハチには犬のようなやわらかい体毛が生えているとか、
想像以上に複雑な作りを目の当たりにすると、
知っているつもりだったものが、実は正しく「認識」できていなかったのだなあ、と思う。
つまり漠然と見たことがある、ということではなく
しっかり「認識」した時に驚きが生まれるのだとわかった。
で、それを写真に撮るということと、精密画として描くということに
いったいどういう意味の違いがあるのかと考えていた。
絵に描くということは、それぞれの要素を自分で再構成しなくてはいけないので
マクロ写真で驚きを得た以上に細部を「認識」して自分のものにしていなければ描けないはず。
ということはそれだけ発見、驚きが多いということに違いない。
画家はそれだけ感動を重ねているというわけだ。作品はその感動を重ねた結果が形になったもので。
鑑賞する人が一枚の絵を観て「すごいね」と言った裏には、画家自身の何倍もの驚きがある。
もちろん写真、油絵、水彩画、パステル画...それぞれ質感が違うとか、
絵は作者の好きなように構図や要素を創作出来るのだ、とか
当然そういうことはあると思うが、
やはり精密に認識することによって得られる感動、そこにこそ違いがあるように思われた。
(もはやマクロだから、と限定する必要もないが)。
制作により時間がかかりながらもそこからたくさんの感動を得られる絵。
より多くの被写体を追うことができ、リアリティーを追求出来る写真。
どちらが絶対的に良いということはないが、絵も描けたら面白いだろうな、とは思った。